地方での電車に乗らない生活になって、電車の中でちょっと寝る、しばらく目を閉じて、うとうとする、という機会が全くなくなった。
あれ、結構好きだったんだけどな。短時間だけれど、結構大切な時間だったんだけどな。
でももし今、私が電車通勤をしていたら、たぶんスマホばっかり見て、そういう時間を取らなさそうだな、と思う。
私が都会に住んでいた頃、スマホはまだ一部の人にしか普及していなかった。私自身もガラケーだった。
だから電車の中でメールをしたりはするけれど、まぁそれにも限界があるわけで、結構な時間を本を読んだり、目を閉じたりして過ごしていた。その時間が、つかの間の休息って感じで貴重だった。
けれど今はスマホ時代。おそらく今の都会の通勤電車内では、みんなスマホを見ていると思われる。
きっとみんな、ニュースサイトを見たり、LINEで会話みたいな文字のやりとりをしたり、ツイッターを見たり発信したり、インスタ見たり、TikTok見たり、ブルートゥースイヤホンで音声配信を聴いたり動画を見たり、仕事関係のメールもチェックしたり、キンドルなどで読書したりと、色々やっていると思われる。
ああ。地方に住んでいると、都会の人が電車の中で何をして過ごしているのか全然わからない!だから、「思われる」となってしまう。情弱であります。
最近ますます、昼寝の効用が言われている。お昼に少しだけでも寝ると、午後のパフォーマンスが違いますよ、というもの。あと、瞑想も推進されている。
スマホがない時代、都会の人たちはあれを自然に、電車の行き帰りの中で目を閉じてやっていたのではないかと、今になって思う。
昼寝ではないけれど、通勤時の朝晩のあの、うとうとタイム。あの時間で、何とか体力と脳を回復させていたのではないかと、今思う。
朝。家を出て、駅まで歩き、ホームに並び、電車に乗って椅子取りゲーム。この朝の一連を疲れを、電車に乗っている時間は目を閉じて癒やし、仕事に臨んでいたのではなかろうか。
晩。疲れた体で職場を出て、駅まで歩き、ホームに並び、電車の乗って椅子取りゲーム。再びの疲労蓄積ルーティーン。だから家に着く前に電車の中で目を閉じて、少しでも1日の疲れを癒やしていたのではないだろうか。
ごくごく自然に、都会の人は瞑想というか、昼寝のようなものをしていたのではないだろか。
今思えば、私はそうしていた。本も読めないくらいにヘトヘトに疲れた時、目を閉じて何にも考えない空白の時間を作って、何とかやり過ごしていた。
席に座れた嬉しさと開放感に包まれながら、うとうと。座れなくても、つり革に捕まって、うとうと。壁にもたれて、うとうと。ぎゅうぎゅうに混んでいても、根性でうとうと。
あの時間は、都会で生きてゆくのに必要不可欠な時間だった。
でも今はスマホ時代。都会のみなさん、あの昼寝のような、瞑想のような時間がなくなってしまって、大丈夫なのかな。元気にやっているのかな。
今の私は車に乗って、ヒヤヒヤしています。
まわりみ
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