地方に住むって、こういう感じ

20代を都会で過ごした女が、地方に戻ってひっそり幸せに暮らす様子。

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スタバのカップが道に捨てられている様子を見て感動

先日、道を歩いていたら、スターバックスコーヒーのプラカップが落ちていた。捨てられていた。
コンビニなどで売ってるチルド商品ではななくて、スタバの店頭で買ったら入れてもらえる、透明なプラカップに、あのおなじみの人魚の絵が印刷されている、あのカップね。


それを見た私は、遂に私が生まれ育ったこの地方で、こんな風景を見るだなんて!とちょっと感動。


近くにスタバがなければ、まず見かけることがない、このスタバのプラカップ。
このゴミを見かけるってことは、スタバが近くにあるという証拠。
スタバがあるってことは、まぁまぁ栄えている場所だってこと。(ほんとか?)
10代の頃、ここ地方に住んでいて都会に恋い焦がれていた私にとっては、衝撃的な風景だ。


神は細部に宿ると言うけれど、都会でよく見たゴミだって、ここ地方では絶対に見かけないものがある。
私が住んでいる地方では、スタバは数年前にできたけれど、タリーズはない。当たり前だけれどブルーボトルコーヒーもない。
だから、タリーズやブルーボトルコーヒーのゴミを、というかパッケージを、私が普段直接、生で近所で見ることはまずない。


タリーズのタンブラーを身近な人が使っている人がいる、だとか、人の家に行ったらブルーボトルコーヒーのコーヒーグッズがあったよ。っていうのは、それは別の話。
あれは、インテリアグッズだから。
私が言いたいのは、すぐに消費されてしまうもののパッケージのゴミの話。
コーヒーは、生モノ。すぐに飲むものだから、鮮度抜群。そういうものの話。


だから私は都会に住んでいる頃、地方では見ない、色んなゴミやゴミ箱の様子を見て、そして何かしらを食べている人達を見て、都会だなぁと思っていた。特に原宿とかで。
彼らは、地方ではまず見ないであろうパッケージに入ったものを食べていた。飲んでいた。捨てていた。
早ければたった数分で捨てられてゆくパッケージたち。
地方に住んでいたら、絶対に目にしないし、手にしないもの。


そういうものでも、街はつくられる。場所はつくられる、
大きな建物も、小さなゴミも、全部が大道具であり、小道具である。


まぁ実際は、今更スタバなんてって感じではありますが。
まわりみでしたー。


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