地方に住むって、こういう感じ

20代を都会で過ごした女が、地方に戻ってひっそり幸せに暮らす様子。

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かつて、男女雇用機会均等法の申し子だった私

私は、男女雇用機会均等法の申し子だったなー。


先日、ちきりんさんがvoicyで、自分はバブル時代の恩恵を受けて、新入社員の頃から多くのボーナスを貰ったおかげで留学資金を貯めることができたと言われていたのを聴いて、まっさきに頭に浮かんだのが、この気持ち。


私の場合、女性だったので、男女雇用機会均等法の1997年法ってやつの恩恵を十分に受けることができた。
今思えば、こんなポンコツでやる気のなかった私に多額の投資をしていただいた会社には、本当に申し訳なかった。今でも、感謝しかない。


「会社初の女性技術職」ということで採用された私と、同期だった女性もう1名。
その年に入社した男性20名ほどの中に、女性はこの2人しかいなかった。
男性たちはボロいお風呂、トイレ、キッチン共同の「寮」に入っていたのに、私は「新築のワンルームマンション」を充てがわれた。
それなのに、寮費という名の家賃は、光熱費込みで1万円以下だった。


私たちが入社する前までは、その会社にいた女性は全て一般職(事務職)。
全員、実家ぐらし、もしくは補助のない一人暮らし。
彼女たちは勤務中に基本的には外出することはなく、定時に来て定時に帰っていた。お昼はお弁当持参的な。


でも私たちの勤務は不規則で、朝は面倒な朝礼の行われる少し前から客先へ向かい、出先でお昼を食べ、会社に戻るのは女性たちがほぼいなくなった定時後。
時には土曜日にも出勤したり、直行直帰したり。
だから、会社の女性たちとはほとんど喋る機会もなく、仕事上でもあまり関わることもなかった。


会社の人間関係は、男性ばかり。
さっぱりしたものだったし、かわいがれたし、大切に扱われた。
そして、期待もされていた。


そんな仕事ばかりの生活なので、お給料は一般的だったけれど、残業をするようになるとどんどんお金が貯まるように。
だって、都会に住んでいるのに家賃がほんと、タダみたいなものなんだもん。貯まらないわけがない。


倹約家な私は、朝食はいつも食パンとりんごジュース。
夕食は遅く帰るので、納豆ご飯と即席味噌汁で軽めに。時々は吉野家で。
昼食だけは贅沢していたし、朝食時と夕食時は、疲労と将来への絶望的な気持ちで屍状態だったから、全然平気だった。
残業後に男性陣と食べることも多かった。でも私が出すのは1000円だけ、とかでとても良くしてもらった。


ただその分仕事は、重たい資料や道具を持って一人で客先へ行くのて体力的にも精神的にもなかなかきついし、仕事の内容も私には向いていなくて辛かった。
気づけば、同期の女性は体調を崩して退職してしまっていた。


あの頃、休日にストレスで散財して、服をたくさん買っていたなー。
でも、それでも貯まっていったお金。


数年でまとまった額が貯まり、私は会社を退職した。
その後、色んな職を転々としてしまったけれど、その時のお金があったから、いつも精神が安定した状態で自分がやってみたいことに挑戦することができた。


お金を貯めさせてくれた会社と、男女雇用機会均等法には感謝しかない。
期待されていたのに辞めてしまってごめんなさい。
ありがとうございました。


あのまま続けていたら私はどれだけお金が貯まったんだろうと考える時もあるけれど、それは無理だったので後悔はしていない。
まわりみでしたー。


【予告】
明日は、人から勧められたたものはなるべく試すようにしている話。こだわりなく試すのがこだわりです。お昼の12時更新です。



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